狼母さんと2匹の子山羊

軽度知的障害児と、そのお姉ちゃんの育児記録。

妊娠中のこと 13

入院した日は夜ずっと偽陣痛が続いていて、気になってよく眠れませんでした。


その夜は新月で、お産ラッシュだったようです。


翌日、昼食を食べてシャワーを浴びていると、お腹に強い張りがやってきました。


「本陣痛が来る」


そう確信した私は、身支度を整え、ゆっくりと病棟の階段へ行き、昇降を始めました。


本当にゆっくり、ゆっくり。

手摺りにつかまって、休みながら。


お腹の張りがいよいよ強くなってきてからは、ベッドに戻り、ゴーンゴーンという腰の痛みに耐えました。


陣痛の感覚が10分間になったところでナースコールを鳴らし、子宮口の開き具合を診てもらうと、


「3cmあるから、陣痛室へ向かいましょう」

とのことで、歩いて陣痛室へ向かいました。


途中で何度も陣痛がきて、痛くて立ち止まり、手摺りにもたれかかりながらゆっくり進んでいきました。

妊娠中のこと 12

ヨウは、妊娠中は発育遅延もなく、お腹の中で順調に大きくなっていきました。


「果糖を摂ると胎児が大きくなる」と聞いたことがあり、ネットで「出生体重と知能指数は比例傾向がある」という文献を読んだので、ヨウの体重が増えるように毎日少しずつ果物を食べ、


「妊娠中にお魚をたくさん食べると頭のいい子が産まれる」と聞いて、魚を積極的に摂っていました。


毎日散歩し、家事をし、身体を積極的に動かしました。


正期産に入ったところで、近くの大学病院に転院し、お産に向けて準備を始めました。


しかし、出産予定日が近づいた妊婦健診の日、いつもどおり赤ちゃんの心音を診てもらっていると


「心音が落ちてきている」

と、看護師さんや先生から指摘があり、その日のうちに入院することになりました。


私は一度実家に帰り、実父に事情を説明してメイのことを頼み、入院の準備をして、再び病院に戻って入院手続きをしました。


この頃には毎日、陣痛のような定期的なお腹の張りがあり、先生と

「赤ちゃんが、産まれてくるための練習をしてるんだね」

と話してました。


いよいよ出産が近づいている、私も覚悟を決めていました。

妊娠中のこと 11

実家に帰ってから出産までは、毎日毎日、ひたすら家事をしました。


安定期に入っていたので、家事をやるのがいい運動になりました。


メイと、産まれてくるヨウが生活しやすいように、実家の生活共同スペースを綺麗に掃除し、


ヨウが栄養が摂れるように、毎日野菜をたくさん使ったメニューで食事を作りました。


頭が良い子が産まれるように、妊娠中にできるだけお魚を食べました。


ヨウに体力をつけるため、身体が大きく育つように妊娠後期には果物も食べていました。


当時、夫との生活で、私がやる事全てを否定されていたので、実家で掃除をして両親に感謝され、食事を作って「美味しい」と喜んでもらえる事で、


私は毎日少しずつ精神的に落ち着いていきました。


あと、実父がメイの面倒をよくみてくれて、私がお腹が張ってしんどい日には寝かせてくれて、とても助かりました。


メイはお散歩が大好きで、私はほとんど毎日メイと数回お散歩に行っていました。


お花や虫を見つけて「かか(お母さん)!みてみて!」と呼び、空を飛ぶ飛行機を見つけてははしゃぎ回っていて、


無邪気なメイの存在にすごく救われました。